電話でのお問い合わせはTEL.090-9591-5010
〒811-0212 福岡市東区美和台2丁目31-5
※2019年より、育好堂「経験のガッツ倶楽部」にて運営しておりました下記「ガッツ倶楽部の自然教室」及び「ガッツ倶楽部の夏キャンプ」は、これを独立法人化した《一般社団法人ガッツ倶楽部》がその理念を引き継ぎ、よりスケールアップして運営されています。
生きていくうえで大切な粘り強さ(ガッツ)を子どものうちから身につけさせたいガッツ倶楽部は「学びのガッツ」と「経験のガッツ」を展開しています。ここでは「経験のガッツ倶楽部」を紹介します。
このページでは以下の5項目の記事があります。なお、「経験のガッツ倶楽部」には、「ガッツ倶楽部の自然教室」と「ガッツ倶楽部の夏キャンプ」があります。活動内容と時期や参加方法は違いますが、どちらも開設の趣旨・活動の方針は共通です。
1.ガッツ倶楽部の自然教室、開設の経緯
2.頼りがいのある若者と頼りない若者の分かれ目はどこにあったのか
3.子どもの頃の自然体験の多少で、のちの人生は年収までも大違い
4.どうして今、子ども達に自然教室が必要なのか
5.既存の自然体験への疑問と、その解決を目指すガッツ倶楽部の自然教室
人生を小説に例えるならば、幼・少年期は「起」、青年期は「承」、社会人の壮年・中年・熟年期が「転」、定年後の老年期は「結」となりましょうか。作品の良し悪しは、出だしのつかみ=「起」の部分で大方決まりますよね。勿論、「承」や「転」で盛り返すこともありますが、やはり人生の土台(基礎)は幼・少年期だと思います。
2011年9月に開設された《育好堂 ガッツ倶楽部》 は、普段は国語や算数の知育パズルや科学実験などを通じて、子どもたちの知的好奇心や試行錯誤力、論理的思考力を育成しています。言わば頭と心を鍛えているわけですが、実のところ、それだけでは力強く自ら人生を切り拓いていくには充分とは言えないことも分かっています。
外遊びやキャンプなどの野外活動といった、困難(乗り越えるべき壁や負荷)がたくさんある自然の中に子ども達を飛び込ませ、自然の大きさと厳しさ、人間の小ささを思い知ること。また、協力・信頼・責任・我慢・主張・妥協といった、「喜び楽しみ、辛くて苦い」 豊富な対人経験を通じて「心・技・体」を磨き、逞しく健やかに育てることも大切だと思います。まさしく「ホンモノの自然体験」こそが、人間の厚み・幅を増し、その人を魅力的な人物にしてくれるのだと思うのです。
「学び」をメインにしたガッツ倶楽部を先行開設した当初から、「経験」をメインにした自然教室をも早期に開設したいとずっと考えておりました。私にとって「学び」と「経験」は2つ揃ってこそガッツ倶楽部存立の意義を裏打ちするもの、子どもの全人教育の両輪という認識でしたので。
そして2012年秋、福岡県は糟屋郡新宮町寺浦にあります、《じゃがいも村》という施設の方々とのご縁がありまして、お話しするほどに、《じゃがいも村》の皆様と私の想いがピッタリと一致していることがわかりました。このことは心より嬉しく、この良縁に大変感謝しております。
その想いというのは、「ホンモノの自然を子ども達に提供し、ホンモノの中から何かを学んで欲しい」というものです。「お膳立てされた自然」 ではなく、「ホンモノの自然」。この違いにつきましては、別項に記すことにします。
こちらには、農園あり、水田あり、里山あり、キャンプや野外調理が出来る場所あり、地域の集会所あり、それに理解と技能と指導力のある 「その道のプロ達」 がいらっしゃいます。私が求めていたものが全て揃っている施設なのです。
同年末には、私の思いをまとめた企画を提案し、皆様に趣旨賛同・協力を快諾していただき、2013年度からこちらで《ガッツ倶楽部の自然教室》を実施することが出来るようになりました。
「最近の若いやつぁ〜・・・」 なんてセリフは 古代ギリシアでも言われていた、と聞いたことがあります。哲学者のプラトンでしたっけ?出所不明ですが。ともあれ、いつの時代でも若者は、社会にもまれたオジサン、いや「大人」(としておきましょう)から見れば、頼りなさげで軟弱に見えるもの。恐らくそれは当の大人達が失ってしまった「無限の可能性」や「輝くばかりの若々しさ」への嫉妬心がそのような、八つ当たり的な評価につながっている面もあるでしょうが(笑)。ですから、以下の文はオヤジ(私)の「自分の若かった頃の事は棚に上げて」の話として、右から左へと聞き流して貰って結構ですが・・・。
それにしても、「褒めて育てよ」 の大合唱の中、叱られる機会の減った子どもたちの 「我慢強さ」 は急激に低下している気がします。つまり、打たれ弱く、メンタル軟弱な子どもが増えていると。先生に少し叱られただけでも傷つき、万が一にも叩かれでもした日には、すぐさま親が乗り込んできて、教育委員会がその先生を叱ってくれる。地域のおじさんが叱れば、「あなたに関係ない」 と逆切れは茶飯事。かくして、親にも先生にも地域にも 「叱ってもらえない子ども」 が大量に増殖中です。
そうして育った若者は、社会(会社)での叱咤激励もプレッシャーとしか受け止めきれないナイーブさ。まるで、何歳になっても傷つきやすい 「大きな子ども」。出社拒否に引きこもり。「自分に合わない」 と3年以内に退職する新人社員は全体の3割とも。「自分が合わせる」我慢強さと柔軟性は、やはり育っていないようです。
もちろん、当代の若者全てがこんな風とは申しません。しっかりとした若者はたくさんいます。この国の混沌とした未来を託すに値する、頼もしい若者は確実にいます。ですよね?
えぇ、いますとも。(←希望的自己完結)ならばこそ、気になることがあります。これら両者の違いはどこから生まれてくるのでしょう?その問いに対して「私なりの答」を、次の3.で書きます。 あくまでも「私なりの」ですが。
私は、今は若者である彼ら・彼女らの「過去」 にその答えがあるように考えています。つまり、幼少期・学童期・少年(女)期の自然体験、子供らしい遊びや社会の一員としての活動の有無、その多少です。
その裏づけの参考資料として、ここに自然体験の重要性についての面白いデータがあります。独立行政法人 国立青少年教育振興機構の調査によるものですが、まずはご覧ください。そしてご覧になってどうお感じになられるでしょうか?
如何ですか?
全てを鵜呑みにする必要も無いでしょうし、当然いくつもの例外や 「突然変異?」 もあるでしょう。
子どもの頃 どう過ごしていたかが、どんな大人になるかを決める。当たり前と言えば当たり前すぎる結論ですが、こうやってデータで証明されると「うむ、そうだ!」と意を固くしますね。
さて、上の3.では国立青少年教育振興機構の調査結果をもとに、「自然体験を始めとする子どもの頃の豊かな経験が、その子どもをどんな大人にするのかを決めている」
と結論付けました。それを踏まえて、改めて問います。お子さんに豊かな自然体験、させていますか?
お子さんは、凧揚げをしたことはありますか?
コマはまわせますか? 羽根つきはどうでしょう?
夜明け前の林に立ち入ってカブトムシを捕まえたことがありますか?
トトロがいるような森の中でかくれんぼをしたことは?
20世紀少年のように、自分達だけの秘密基地を作ったことは?
煮干をエサに沢ガニやザリガニを釣りあげたことがありますか?
トンボやセミを捕まえに虫取り網を持って出かけたことは?
ゴカイを針につけて魚釣りをしたことがありますか?
地平線から昇る朝日や海に沈む夕日を、ずぅーっと眺めていたことがありますか?
マッチで火をつけて焚き火をしたことは? それで焼き芋を作ったことは?
畑の土や田んぼの泥にまみれたことはありますか?
1年を通して野菜やお米はどう育っているのかを知っていますか?
いや、図鑑や教科書でなく、自分の目で見たことが、自分の手で触ったことが、自分の額に汗したことがありますか、ということです。リアルな体験として。
体験こそが真実の学習であり、その人の血肉となる。体験はその人の深みや厚みとなり、その人を魅力的にする。魅力的な人は仲間を呼び、幸せな人生を手にする。・・・そう思うんです。
ところが現実は・・・校区にある雑木林は立ち入り禁止。空き地や公園では草野球も禁止。川や貯水池には近づくな。事故や訴訟の原因になった遊具は次々と公園から撤去。あれもダメ・これもダメ、危ない・注意・危険・禁止・ご遠慮下さい・・・。
毎日の生活の中で、大人たちの「危機管理」のもと、「安全」な空間で生活している子どもたち。危険を察知・回避する野生的・本能的な力を身に付ける機会を失ったまま大人になっていくのでしょうか。放課後の空き地に集まるわんぱく小僧・おてんば娘たちの姿は昭和とともに消えていき、自転車で遠くに出かけるトムソーヤのような冒険も許されず、ジャイアンのようなガキ大将はもはや絶滅危惧種。野性味を失い、ぬくぬくとした真綿でくるむように大切に育てられる現代の子ども社会。自らを包む真綿で首をしめられるように軟弱になってしまった子どもたち・・・。
そんな子ども達に対して、こんな生ぬるい過保護社会を作り出した張本人の大人たちが、「申し訳ない」という罪滅ぼしのつもりなのでしょうか、取ってつけたように、「生きる力」
を声高に要求する、何たる矛盾。そこで、官・民を問わず、市政だよりやインターネットなど、ちょっと探せば「自然体験・生活体験」が出来るイベントは目白押し。
ところが、これもまたクセモノなのです。クセモノ?なにが曲者? どこが?どうして?それはですね・・・。それは次の5.に書きますね。
さて上記では、子ども達から「生きる力」を奪ってしまった大人たちが声高に「生きる力」を要求する矛盾について書きました。そのために昨今は官・民を問わず、「自然体験・生活体験」
が出来るイベントの開催が目白押しになってるけれど、それらはどうやらクセモノも多いように感じる、とも書きました。
ここで、それらがどうして?どこが? クセモノなのかを書きます。
「生きる力」を養うことを大命題とし、子どもたちの生活体験を充実させようと、公的・民間の別を問わず、昨今は多くの活動プログラムが豊富に準備されています。私も中学・高校で18年間の教職に奉じておりましたので、学校行事の中で何度かそのような活動を生徒と共に体験してまいりました。しかしながら、いつもその中で違和感を抱いておりました。果たしてこれが子供達にとって「ホンモノの自然」を体験していることになるのだろうか?という疑問です。
例えば農業体験では、ちょうど収穫期を迎えた畑に案内され、多少なりと土を触り、害虫がいれば誰かにつぶしてもらい、まいてある肥料や飼っている家畜に「クセ〜」と鼻をつまむ。先生や指導していただく農家の方の指示を待って、いっせいに果実をもぎる。その場でそれにかぶりついたり、焼いて食べたり、お土産にいくつか持って帰る。ワーワーキャーキャーの歓声の中、わずか数時間のその体験をもってして「自然の恵み」を実感した気になる。後日、「いい思い出になりました」 などと感想文に書いて提出すれば、「農業体験」の学校行事は無事に消化されたことになる。・・・こんなことが本当に「自然体験」なのでしょうか?
実際の農作業では、肥料を施し、育てる作物にあわせた酸度の土を作り、畝を立て、細めな害虫駆除、病気の予防と対処、日照や雨量に気を使い、添え木を立て、鳥のついばみやイノシシやシカなどの獣害と戦い、そしてやっとの収穫を迎えるのです。収穫した後は残された茎や根を掘り起こして次の種植えに備えなくてはいけません。その長丁場の農作業サイクルの中の、収穫という、まさに「オイシイところ」だけを体験して、「農業体験(自然体験)」としているプログラムが、世にあまりにも氾濫しているのではないでしょうか?
炎天下の作業に汗を吹き、塩分・水分補給に心する。土や肥料が爪の間に入り込み、屈みっぱなしで子供でも腰が筋肉痛。こんな苦労をしてこそ、その収穫は感謝と喜びを素直に感じられる。時には、手塩にかけた農作物が鳥獣害に遭ったり、長雨や病気で発育不良になったりという、残念な結果も受け入れる体験があってこそ、「ホンモノの自然」を学ぶことになると思うんですけどね。
野外遊びや工作遊びにも疑問は多いです。主催者や大人が事前に周到な準備を進め、危険を排除しておき、子ども達が「効率的に」「安全に」作業できるように、場所や人数分の道具をセッティングしておく。危険な場所は立ち入り禁止。怪我が予測される道具は持たせない。これが「ホンモノ」の野外遊び・工作遊びでしょうか?
危険かどうかは子どもに判断させる。ロープを掛けた木の枝が自分の体重で折れるかもしれない。小刀で竹とんぼを作るとしましょう。やり損なえばとがった竹のささくれが手のひらに刺さる事も、刃物で指先を切る事もあるでしょう。危ないですよね。だから、子どもに刃物を扱わせない?本当にそれでいいのでしょうか?自分の肉体を切る痛みを知れば、その使い方に慎重になるし、決してそれを他人に向けるようなことはしなくなります。流れた自分の血が、刃物を扱う重大さを教えてくれるのです。
野外調理は学ぶことが多い活動です。斧や鉈で薪を割り、燃え盛る火の中に薪を入れたり取り出したりして、火力を調節する。「火を制御する」のは地球上の動物で人間だけが出来る芸当です。判断を間違えば、手や腕に火傷もするし怪我もする。しかし、それも「自然」を学ぶということではないでしょうか?
ソーメン流しはどうでしょうか?「準備できたよー」の掛け声で、子ども達がいっせいに竹の両側に並んでキャッキャと食べ楽しむ。「自然体験」と銘打って、こういうプログラムも多いですよね。なぜ、山から竹を切り出し、仲間で力を合わせて運び出し、鋸で切って、鉈で真っ二つに割り、節を抜き、流す水を確保し、脚を組み、竹をつなげる・・・ということをさせないんでしょうか?
「効率的に」その日一日の「自然体験」のプログラムを全て消化すためには、山から竹を切り出して・・・なんて悠長なことは、お客様(顧客・子ども)を待たせてしまう、「無駄な時間」ということでしょうか?
世に溢れる、大人(主催者)が入念にお膳立てした、そんな「不自然な」「自然体験」活動プログラムへの異議申し立て・アンチテーゼとして、《ガッツ倶楽部の自然教室》 を設立することにいたしました。効率性や顧客満足を超越した、あくまでも「ホンモノ」にこだわった、《ガッツ倶楽部の自然教室》です。
参加した子ども達が、心の底から笑い、楽しみ、喜び、感動し、危険を感じ、苦労や厳しさを知り、そして、人としてひと回りもふた周りも成長する。楽しんでもらおう、「いい思い出」を作ってもらおうという、「イベント化」された自然教室ではありません。
仕込まれた自然教室には無い、「ホンモノ」を提供する自然教室。
悔し泣きをする子が出るかもしれない自然教室。
参加者に「おもねらない、ご機嫌をとらない」自然教室。
参加者を「お客さん」扱いしない自然教室。
たくさんの愛情と厳しさを持って子どもに接する自然教室。
農家の方や指導者が、我が子、我が孫を、「賢く逞しい子」 に育てるように参加者に接する自然教室。
それが、《ガッツ倶楽部の自然教室》なのです。今までになかった「ホンモノ」の自然教室、それこそが存在意義なのです。さてさて、熱く語りましたが、このページを存分に使って書き記してまいりました、「なぜ、《ガッツ倶楽部の自然教室》 を開設しようと思ったのか?」、これをご理解いただければ幸いですし、「よし、じゃあ参加してみよう!」 と考えていただければ尚のこと嬉しいです。こちらは非営利。まさに志を同じくする人たちで子どもの逞しく健やかな成長を願って行なう活動です。
〒811-0212
福岡市東区美和台2丁目31-5
TEL.090-9591-5010
FAX.092-607-6175
育好堂